【夢を叶える名言・格言集】
布川 敏和


もちろん怒られて、

しばらくNHKを
出禁になりました。

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布川 敏和

■布川 敏和(ふかわ としかず)
1965年8月4日生まれ
神奈川県川崎市出身
身長:171cm、体重:63kg
B:94cm、W:88cm、H:97cm
血液型:B型
シブがき隊の元メンバー。
妹は元「おニャン子クラブ」の布川智子
元妻はつちやかおり
長男は俳優の布川隼汰
長女はモデル・タレント・女優の布川桃花
次女は布川花音

1980年 15歳でジャニーズ事務所へ入所。
1981年 ドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。
1982年 シブがき隊のメンバーとして、
 シングル『NAI・NAI 16』で歌手デビュー。
1988年 シブがき隊を7年の活動を経て解散。
1988年 ジャニーズ事務所を退所。
1991年 交際していたつちやかおりと結婚。
その他、ドラマ、バラエティー、CMなどに
 俳優・タレントとして出演。

布川 敏和・名言


中学3年で
ジャニーズ事務所に入りました。

「入りたい」っていう友だちに
付いていったのがきっかけ。

ジャニーさんに
「Youも踊ってっちゃいなよ」って

言われて踊ったら
「合格!」って。


高校に入ったらすぐに

「2年B組仙八先生」で
デビューして

忙しくなって転校。

2年生になったら、
「シブがき隊」の3人で

事務所の合宿所で
生活することに。


82年組は
女性アイドルが豊富で、

そんな中、
キョンキョンも明菜も伊代ちゃんも、

親衛隊は全員、
暴走族なんです。

最初の頃は、
彼らに敵対心を持たれて、

「シブがきコノヤロー!」
なんて罵声が飛んで。


俺たちは考えたんですよ。

親衛隊のリーダーと
仲良くなってやろうと。

収録の合間に舞台裏で

「○○さん! どうも!」
なんて

名前を覚えて挨拶して。


すると徐々に
仲間だと思ってくれて、

俺らのことも
応援してくれるようになりました。

おかげで「ザ・トップテン」
でも

「フックン!」という
野太い声が飛び、

励みになりましたね。


生放送の緊張感が
いちばん強烈だったのが

「夜のヒットスタジオ」
でしたね。

だってさ、

2日前に初めて
聞いたばかりの新曲を、

リハもなしに
歌わされるんです。


ビビりまくりで、

俺は
ヤックンやモックンと違って

けっこう
ミスをしていましたからね。


生バンドがバックだから、
口パクでごまかせないんですよ。

だから

「シブがき隊は歌が下手」と
言われてたんですけどね。

ほかにも
生放送の事故といえば、

みんな知っていると思うけど、
紅白かな。


あの頃、吉川晃司と仲が良くて、
よく六本木で遊んでいたんですよ。

で、晃司と2人で

「今度の紅白、
誰もやらないことをやっちまおうぜ」

と作戦を立てたんです。

「俺はステージから落ちるから、
晃司も何かやれよ」

と言ったら。


まず登場時に口に含んだ
シャンパンをぶちまけて。

歌が終わり、

次の河合奈保子さんの
イントロが始まっているのに

ギターを鳴らして、

あげくジッポのオイルで
ギターを燃やしたんです。


俺たちは河合さんの次で、

オイルのせいで
転びそうになるのを

踏ん張って踊りましたが、

俺は「これは使えるぞ」と、
わざと2回、大げさに転びました。


もちろん怒られて、

しばらくNHKを
出禁になりました。

でも年齢を重ねて
白髪になって、

NHKのドラマに
呼ばれるようになるんだから、

まぁ、大したことじゃ
なかったんですよ。

河合さんに対してと、
消防法的にはNGですけどね。


ヤッくんと
仲が悪いわけじゃないんですよ。

性格が合わないんですよ。

最近仲直りしたというか

誕生日にはLINEが来るし、
僕も誕生日にメッセージを送る。


たのきんトリオがいたからこそ、

シブがき隊も少年隊も
誕生したんですよね。

その恩義は一生、
忘れちゃならないと思っています。


中学校3年生の時に
オーディションを受けて、

ジャ二―さんが
合格を出してくれなければ、

きっと僕は
カメラの前にいなかった。

シブがき隊を辞めても
芸能界でやらせていただいているのは

ジャニーさんのおかげです。


優しかったですね、
すごく優しかったです。

みんな、ジャニーさんに
怒られたって

テレビで言ってますけど、

僕たちは怒られたことがない。

とにかく、
本当に優しかった。


父親が中古車販売店を
経営していて、

小学生の頃は
父の後を継いで

クルマ屋さんになろうと
思っていたんですけどね(笑)。

ジャニーズ事務所に入って
人生が変わったんです。


両親は同じ布団を
3組用意して、

車で合宿所まで
運んでくれました。

だから、
やっくんともっくんも、

その布団で一緒に
寝起きしていたんですよ。


オヤジがよく
僕と遊んでくれたから、

僕も子どもと
よく遊びました。

隼汰が生まれる1年ぐらい前に
ゴルフを始めて

ハマッていたんですけど、

子どもが生まれたら
やめてしまいました。

休みの日は家にいて、
子どもと一緒にいたくて。


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