【夢を叶える名言・格言集】
浜田 省吾


僕は賞は別にいい。

だって、すでに
ハマショーという立派な賞を

みんなから
もらっているから。

浜田 省吾

■浜田 省吾(はまだ しょうご)
1952年12月29日生まれ
広島県竹原市出身
身長:170cm、血液型:O型

1975年 愛奴のメンバー
 としてプロデビュー。
1976年 シングル「路地裏の少年」と
 アルバム『生まれたところを遠く離れて』
 でソロデビュー。

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浜田 省吾・名言


どんな事があっても

歌い続けることだよ。


歌というのは
一瞬にして消えるものだから、

そのときに
情景とかイメージを

受け手にしっかり
伝えなければいけない。


自分で照れて
二度と読めないっていうぐらい

恥ずかしく書かないと
伝わらないよ、

歌詞は。


人は人を
幸せにすることは

出来ないということ。

幸せって
自分でなるものだから。


人に幸せに
してもらうものでもないし、

人を幸せに
することも出来ない。

だけど、
喜ばすことは出来る。


青空や太陽が
自分の人生に必要ならば、

空が晴れるのを
待っているんじゃなくて

自分で太陽の下に
出て行かなければいけない、

青空のドアを

自分で探して
開けなければいけない。


1971年の夏、
18歳の俺と17歳の女の子。

ひと夏かぎりの短い恋で、

それ以来会えなかったし、
写真も持っていなかった。

でも、写真を見たら、

彼女の笑顔や
いろいろな場面を思い出した。

その恋がなかったら、

こうして音楽を
やっていなかったかもしれない。


そのときは、
若くて貧しくて、

つらく苦しい恋のまま
終わってしまったけど、

今はそのことが、
人生において

かけがえのない大切な
経験だったとわかるんだよね。


観客の数は
どこの町も数百人で、

客席はガラガラでね。

テレビのヒット・チャート番組では

沢田研二さん、原田真二くん、
甲斐バンド、サザンオールスターズ

といったシンガーやバンドが
脚光を浴びているのに、

オレ達は空席だらけの
ホールで毎晩演奏していました。


でも、楽しかった。

オレはこれでいいんだ!って
思い始めたんですよね。

色んな町へ出かけて行って、

汗だくで演奏して、
食べて、飲んで遊んで、

いつもボロボロになって
東京に帰ってました(笑)。


40年前に
武道館でやるって決まったとき、

バンドのメンバーと

『1階席2階席は空席だらけでも、
いいステージやろうな!』

と言い合っていてね。

でも、いざチケットの
発売日になると

数時間で
全席売り切れるという、

信じられないことが
起きたんですよね。


歌を書くことに苦しんだ

30代後半から
40代になる頃があって、

あとから考えると、

逆にその時期に
大きく成長出来た。


「30歳以上の大人は、信用するな!」

と今まで
言って来たけど、

俺も30歳になっちゃったよ(笑)。


ちょうど「悲しみは雪のように」

というシングルを
出した頃かな(92年2月)。

今までで一番のヒットを記録して、
一番脚光を浴びてた時期が、

皮肉にも精神的には
どん底だったんですよね。

俗に言う
"バーン・アウト"、

燃え尽きたような
感覚に近かったですね。


音楽自体は大好きだけど、

音楽業界というものには、
うんざりしてるよ。

音楽ジャーナリズム、
マスコミ、音楽ファン……

まるで死人を相手に
ケンカしてるみたいで……。

死人はどんなに殴り倒しても、
倒れることはないからね。

こっちが死ぬまで
終わらないからね。

まぁ、その中で
何とかまともにやってゆけるのは、

ステージ位のものさ。


僕は賞は別にいい。

だって、すでに
ハマショーという立派な賞を

みんなから
もらっているから。


中学、高校と
剣道部、野球部にいたせいで、

体育会系の礼儀正しさ
というのが身についていて、

そのせいで真面目に
見えるんじゃないかなぁ。

だけど、誠実ってのは
無いと思うよ、

誠実な人間なんて、

そうめったやたら
居るもんじゃないよね。

俺なんか、ひどい男の
一人じゃないかなぁ。


年齢とともにステージが
どんどん広くなっていくんですね。

年齢とともに
小さくなってくれりゃいいのに、

幅がどんどん広くなっていく。

走る距離が長くなるし、

高さも段差も
だんだん急になっていくし。

活を入れられてるおもいですよね。

スタッフの暖かい
心遣いを感じます(笑)。


皆さん、
最初から最後まで

ずっと手拍子をしていたら
手が壊れます(笑)。

ですから、演奏中は
エア手拍子でいいです。

でも、
俺たちがいい演奏をして、

もしそれがあなたに届いたら、

演奏が終わったときに
拍手をもらえれば、

俺たちミュージシャン、
それだけで十分報われます。


スタジオで朝まで
頑張ったあとのメロメロの気分や、

曲が出来なくて煮詰まった顔や、

ステージ後の

うつろな心情の
ミュージシャンの気持ちなんて、

どこにも
出てきやしなんだから。

とにかく、

君は君!
おれはおれ!

お互いに頑張ろうや。


病気と闘った友もいるし、

自然災害や事故と闘って
亡くなった人もたくさんいて、

そして、いずれ

自分も友に
見送られる立場になる。

浜田省吾
何故サングラスをするんですか?


これはね、あの、

顔を覚えられたくないんですよ、
公に。

写真さえ
撮られなければ外すんですけど。

今はそうでも
ないかもしれないけど、

一応名を
成そうと思ってるから、

自分が自然に
ふるまえなくなるのが

嫌なんですよね。

こうしてると外せば
誰もわからないですからね。

処世術ですかね。


デビューして以来、

その質問は
10万回位されてるんだけど、

もうアキアキしてるんだ。
いい加減にしてくれよ。

おれ自身、
どうしてなのか忘れちまったよ。

今更はずして、

「僕が浜田省吾です」
と言っても

誰もわからないだろうね。


とにかくサングラスをして
世の中を見ると、

少し暗く見えることは
確かだけどね。

だけど本当に暗いところは、
見えなくなってしまうから、

作家としての
バランス感覚という点では、

ベストだね。


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