【夢を叶える名言・格言集】
近藤 真彦


一日一日をどうやったら
充実して過ごせるか、

ということに
集中するんです。

そうすると疲れない。

遊びの日も仕事の日も、

その一日をいかに
楽しく過ごすか、

ということに全力を尽くす。

スポンサードリンク


近藤 真彦

■近藤 真彦(こんどう まさひこ)
1964年7月19日生まれ。
神奈川県大和市出身
身長:174cm、血液型:O型。
たのきんトリオの元メンバー。

1977年 中学一年の時に
 ジャニーズ事務所に入所。
1979年10月 ドラマ『3年B組金八先生
 の生徒役でデビュー。
1980年12月 「スニーカーぶる~す」
 でソロ歌手としてデビュー。
1981年、1983年 ブロマイド
 年間売上成績で第1位を獲得。
1988年-1993年 全日本F3選手権に
 ドライバーとして参戦。
その他、ドラマ、映画、CMなど、
数々の作品に出演。

近藤 真彦・名言


後輩の存在って、
僕にとっても刺激になる。

それがうちの事務所の
いいところなんですよ。

あの後輩に負けるもんか、

いつまでたっても
すごいと思われたい

っていう気持ちを、
1人1人が持ってる。


やっぱりカッコ良さには

こだわりたいですね。


休むことの大切さ、

オンとオフの使い分けを
知りました。

ちゃんと
休みを取るからこそ、

仕事で自分を
120%発揮できるのです。


一日一日をどうやったら
充実して過ごせるか、

ということに
集中するんです。

そうすると疲れない。


遊びの日も仕事の日も、

その一日をいかに
楽しく過ごすか、

ということに全力を尽くす。


寝る時も全力で寝る。

それがストレスを
ためない秘訣です。


「無理だ無理だ」って
言われながらも

やってきて、結局できたんです。


レースはやっぱり人だから。

機械だけでレースは勝てない。


勝つためには妥協しないで

すべて
そろえるのが僕の仕事。

レースはつらいことが8割。


レース活動は遊びや趣味で やってるわけじゃないから。

これは僕の仕事だからね。


僕にはヒット曲がいっぱいあって
本当によかったと思うんだよね。

僕に興味のない人も曲を聴けば、
あのころの自分を思い出すでしょ。

ヒット曲は僕の宝物だよ。
もうね、感謝しかないです。


全国ライブハウスツアー。

ヨッちゃんに

『来年、一緒に旅しない?』
って電話したんだ。

僕は“近藤真彦”の看板だけで
このツアーを回りたくなかった。

ヨッちゃんと
二枚看板で回りたくて。

北海道から沖縄まで、

若いころに回った
大きなホールも、

行ったことのない
小さなライブハウスも。

バイクにまたがって

ファンのみんなが待ってる
街から街へ。

そんなツアーを
やりたかったんです。

途中、レースのシーズンを
挟んで冬まで続けるんだけど、

その間に2人で

1曲作りたいねっていう
話もしてます。

ジャニーさんへ


倒れてから3週間、

病室で数々の奇跡を
見せて頂きました。

改めてジャニーさんの
強さを感じました。

タレントと社員が、
もしかしたらという

心の準備をする時間も
いただきました。

さすがジャニーさん、

最後まで最高な
セルフマネージメントでした。

長男でいながら、
何度も泣いちゃいました。

叱られそうです。

ジャニーさんありがとう。

今の僕があるのは、
ジャニーさんのおかげです。

あの頃、13歳のあんな僕に

声を掛けてくれて
ありがとうございました。

ゆっくり休んで下さい。


レッスンをさぼったりですね。

あとは、嘘をつくと
すごく厳しい方で、

嘘がばれたときは
非常に怒られました。

とにかく嘘は嫌いでした。


僕たち子供だったんで、

この程度の嘘は
許されるだろうな

と思っていたことに
対しても、

非常に厳しく
育てていただきました。

子供の小さな嘘ですけど、

それでも真剣に
怒ってくれたので、

勉強になりましたし、
感謝しております。


もう感謝しかありません。

今所属してるタレント全員、
卒業していった先輩方も

感謝しかないと思います。

僕も心から感謝してますし、

タレントはみんな
ジャニーさんなくして

今の私だちはなかったと
心に思っていると思います。


スポンサードリンク



近藤 真彦に関する音楽等


近藤 真彦・一覧
【楽天】 【Amazon】

LINE/Twitter



関連記事・広告



名言を投稿