【夢を叶える名言・格言】
宮城 大弥


『プロに入ったら
普通の人より

給料が高いと聞いたんだ。

母さんにも
スイカを買ってあげられるよ』

と笑顔で話していたことを、
今になって思い出します。

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宮城 大弥

■宮城 大弥(みやぎ ひろや)
2001年8月25日生まれ
沖縄県宜野湾市出身
身長:171cm、体重:80kg
左投げ左打ち、投手

4歳で野球を始め、
 中学時代に侍ジャパンの
 U-15代表メンバーに選出。
興南高校で1年、
 2年夏の甲子園に出場。
ドラフトで
オリックス・バファローズから1位指名。
2021年 23登板13勝4敗 防御率2.51。

宮城 大弥・名言


プロは少しでも
甘いボールがいくと

すぐにホームランを
打たれてしまう場所。


打たれた後は

3日くらい落ち込みます。


不安って、

まだ自分の中で
答えが出てないから。


どの打者と対戦するときも

絶対に打ち取ってやる
という気持ちで

投げています。


継続することが大事。


立場は一番下なので
『皆さんに追いついていくぞ』

というくらいの
勢いがないと

1軍では残っていけない。


4歳の時、散歩中に
音が聞こえたんです。

少年野球の打球音と、
守備の声が。

それで

引かれるように見にいって
『やりたい!』と思って。

その“音”が
すごく記憶に残ってます。


一生百錬
(いっしょうひゃくれん)

何度も繰り返し鍛えて
強くなっていくこと。


プロに行って親孝行したい。


電気代を払えず、
頻繁に電気が止まるので

マッチとローソクは
手放せない

生活を送っていました。

母・宮城礼子


貧乏ときたものだから、
格好のいじめの的でした。

上履きが便器の中に
入っていたこともありました。

それでも大弥は
弱音を吐いたり、

下を向いたりすることは
ありませんでした。

幼い頃から我慢強く、
切り替えが早い子でした。

母・宮城礼子


『プロに入ったら
普通の人より

給料が高いと聞いたんだ。

母さんにも
スイカを買ってあげられるよ』

と笑顔で話していたことを、
今になって思い出します。

母・宮城礼子


我が家の生活は苦しく、
学生が住むような、

家賃2万8000円の
6畳一間のアパートに

家族4人で身を寄せ合って
住んでいました。

父・宮城亨


大弥の野球道具を
買う余裕はありません。

700円で売っていた
ビニール製のおもちゃの

グローブをあげるのが
精一杯でした。

父・宮城亨


ユニフォームは
可哀想になるほどボロボロで、

道具は少年野球用のものを
そのまま使ったり、

チームメイトの
お下がりをもらったりしていました。

宜野湾ポニーズ総監督・知名朝雄


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