【夢を叶える名言・格言集】
宮本 浩次
(エレファントカシマシ)


もちろん誰かのために
生きることも大切だけど、

本気で自由に生きることが
できるのが大人の特権。

一度きりの人生なんだから、

自分の幸せを
探求すべきだと思う。

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宮本 浩次

■宮本 浩次(みやもと ひろじ)
1966年6月12日生まれ。
東京都出身。
身長:170cm、血液型:O型。
エレファントカシマシの
ボーカル&ギター。

中学と高校の同級生の4人からなる
ロックバンド・エレファントカシマシ。
高校時代からライブハウスで活動し、
1988年にエピック・ソニーから
メジャーデビューを果たす。

宮本が作詞・作曲を手がける
楽曲や独自の表現で注目を集めながらも、
CDの売り上げ不振から
1994年に契約を切られ、
その後もレコード会社の移籍を繰り返す。

2007年にユニバーサルミュージックの
所属となり順調に活動を続けるも、
2012年に急性感音難聴で1年間の活動休止。
2019年にデビューから30年にして
ソロデビュー。

宮本 浩次・名言


これまでずっと、
寝ても覚めても

エレファントカシマシの
ことだけを考えて生きてきた。

それこそ高校の時に
修学旅行に行かなかったのも、

週に3回やっている
エレファントカシマシの練習が

できなくなるからだった。


ポプコンにもソニーの
SDオーディションにも出た。

デビューしてからも
エレファントカシマシが

すべての前提で中心で、
このバンドで絶対に成功する!

ってなかば
意地になってやってきました。


1994年に最初の
レコード会社との契約が切れて

みんながやめそうに
なっている時も引きとめて、

「エレファントカシマシでやるべきだ」
って言っちゃった手前もあって、

「売れるまでは!」
って思ってやってきた。


僕はピンチのたびに立ち止まり、
どうすればいいんだろう?

と考えながら
成長してきた気がします。


どうしたら
ヒット曲が出せるのか。

スピッツやミスチル、
桑田佳祐、小沢健二、
奥田民生らの

曲を片っ端から
聴き込んで研究した。

悔しさもあったけど、
全部聴きました。

やることもないし、

マラソンして
気合い入れるしかない。

ウォークマンで
曲を流しながら、

夜中に赤羽の団地を
走ってましたね。

ランニングシューズが
ないから革靴で(笑)。


2012年には
外リンパ瘻を患って

左耳が一時的に
聞こえなくなった時は怖かった。

病院の裏の神社に毎日通って、

「治りますように」
とお参りしてました。

近所の蕎麦屋で会社員が
一杯やってるのを見た時は、

本当にうらやましかった。


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40代後半、

レコーディングで
1週間ほとんど寝なかったり、

闇雲に走ったり、
メチャクチャやってましたからね。

いま思えば
最後の無茶だったのかな。

病気をやって、

健康のありがたさ、
休むことの大切さが

よくわかりました。


再び歌えるようになって、

当たり前だと
思っていたことが

当たり前なんかじゃない
ことに気づきました。

もっと幸せになりたいと
思っていたけど、

僕は歌い続けているだけで
十分に幸せだったと。


歌を通じて、

もっと気楽に生きていこうよ
と伝えたい。

自分にふさわしい
人生を生きて、無理しないでと。


母の言葉は
自信を与えてくれました。

レコード会社の
契約を切られたとき、

「なんで俺たちの歌は
売れないんだろう?」

とぼやく僕に、

「大丈夫よ。だって
あなたは大器晩成型だもの」って。

「母さん、なんで俺、
人望がないんだろう?」

とこぼしたときも、

「人望なんて、これからよ」
って即答してくれて、

ありがたかったな。


昨日、レコーディングが終わって
街を歩いてたら、

男の子が

「宮本さん、俺、大ファンなんです。
握手してください」

って寄ってきてくれてね。

男の子つっても、
もう30代だったのかなあ。

「そんなにうれしいのかな……」

って思いながら
握手したんですけどね。

でも、やっぱりうれしかった。

こうして真剣に
聴いてくれてる人がいるんだ。

こっちも真面目に曲、
作んなきゃなって思った。


大人になっても、

憂鬱なことや、
壁にぶち当たることは

たくさんあるけれど、

歌で人とコミュニケーションを
とってきて、

みんなが僕の歌声を聴いて

喜んでくれていることが
分かったんですよね。。


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俺、最近
気づいたことがあって。

結局はその、労働を
元気でできるっていうことは、

それが目的じゃない?って
思うようになってきたわけ。


元気に働いているってことが、
自分にとっての本分っていうかさ。

生きてるってそういうことかな、
みたいに思うところもあって。


今こうやって働いてる、

しかも
歌の仕事や音楽の仕事、

ライブの仕事で
自分の力を出している、

これ以上の喜びって
ないんじゃないか?

って思うわけ。


結局、どんな形であれ、

みんなに歌を届ける
仕事をし続けてさえいるならば、

あとはどうでもいいなって
いうふうに思ってるのね。


その環境に合ったやりかたで、
まだやっていないことを、

残された時間の中でやっていく。

自分がやりたいことを

1曲でも多く形にしていくって
いうことなのかな。


もちろん誰かのために
生きることも大切だけど、

本気で自由に生きることが
できるのが大人の特権。

一度きりの人生なんだから、

自分の幸せを
探求すべきだと思う。


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若い頃は自分を
さらけ出すのはダサいという

信念のもと、
強がっていました。

でもぶざまな
自分をさらけ出すほど、

みんなは耳を傾けてくれる。


誰の言葉か知らないんだけど、

40代は若者の老人時代で、
50代は老人の青春時代なんだって。

初老って言ったって、
まだまだ元気。

「何があっても平気さ、
全部乗り越えてきたんだ」

って気分なんですよ。


40代で
それまでの自分を受け入れた。

50代からは、

弱みも情けないところも
全部引き連れて、

もう1回冒険してみたいんです。


30代で愛する人のための
命だと知って、

50代でやっぱり

俺のための
人生だってことに気がついた。

諦めることも、
何だよと思うことも

いっぱいあるけど、

ちょっとワガママに
生きてみたいなって。


もし50代で転身する人が
多いとするならば、

その気持ちはすごく分かる。

でも人によって、

30代で思い切って
仕事を変える人もいるだろうし、

70代になって

自分の夢を実現したいって
行動する人もいるだろうから、

それぞれの転機みたいなものが
あるということだと思う。


自分のやりたいことを
できてる人ってのは、

やっぱり素敵ですよね。

俺もできることなら、
80歳になっても90歳になっても、

歌う気力があるならば
歌い続けたい。

いろいろ
捨てなきゃいけないものは
あるんだろうけど。

歌をみんなの前で、
死ぬまで歌っていられたら、

それが一番幸せですよね。


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