【夢を叶える名言・格言集】
三好 康児


サッカーの部分だけではなく、

私生活の取り組みが
ピッチに出る。

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三好 康児

■三好 康児(みよし こうじ)
1997年3月26日生まれ
神奈川県川崎市多摩区出身
身長:167cm、体重:61kg
攻撃的なポジションはどこでもでき、
持ち味はスピード、
テクニック、ボールコントロール。

2007年 小学校5年から
 川崎フロンターレの下部組織に所属
2014年 トップチームに
 2種登録選手として選手登録
2015年 川崎フロンターレの
 トップチームに板倉滉とともに昇格
2018年 北海道コンサドーレ札幌に
 期限付き移籍
2019年 横浜F・マリノスに
 期限付き移籍
2019年 ベルギー1部のロイヤル・
 アントワープFCに期限付きで移籍
2020年 ロイヤル・アントワープFCに
 期限付きから完全移籍
2021年 東京五輪日本代表

三好 康児・名言


幼少期から常に

自分で考えることを
意識していた。


板倉三笘

小学生の時からユースまで
一緒にやっていたので、

自分たちの中でも
常に競争意識があるというか、

口にはしないですけど、

お互いが活躍することが
刺激にはなっている。


僕らは“東京五輪世代”と言われ、

何年も前から
ずっと準備してきました。

様々な活動や大会を通して
実力を身につけて、

クラブでも

それぞれが意識して
ポジション争いをして、

メンバーに入るために
切磋琢磨してきた。


開催されると思って

準備をし続けるしかない。


結果を出せていないのは

自分の実力。


自分の特徴をどうやって出すか、

認めさせていくしかない。


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自分のクオリティが
高ければ、

監督が代わっても
プレーし続けられた。


結果で証明できていれば、

『代えられない選手だ』と
思わせられた。


まずは
プレーで見せること。

あとは、

どういう準備をして
試合に挑んでいるか。


試合に出られない時に
どういった練習をしているか、

というところを

監督は見ていないようで
見ている。


保育園のときに
日韓ワールドカップを見てから

“プロになりたい”
という思いがあった。


監督にずっと
言われていたのは、

フロンターレU-12は
プロになるための組織だということ。

一流選手になるためには、

私生活の部分も
一流じゃないといけない

というのを
小学生のときに、

とことん叩き込まれました。


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クラブの方からも

『人間として自立しないと
選手として上に行けないぞ』

と常に言われていた。


サッカーの部分だけではなく、

私生活の取り組みが
ピッチに出る。


両親は全試合見て
応援してくれました。

親が来てくれるだけで、

子どもはもっと
頑張ろうと思うから、

その時の両親の存在は
大きかった。


小学生から中学生の間、

毎日サッカーノートに
1日1ページ、

練習の内容や感想を書いて、

何歳になったら
どこでプレーするなど

目標も書いてました。


サッカーは
やらされるのではなくて、

自分がやりたくなることが
一番大事。


サッカーは
助け合いのスポーツ。

プレーでも人を助けることで
自分を助けてもらえる。


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幼い頃から
プロになるために

何をすべきかを
考えてきた。


英語は
最低限できないと

ヨーロッパで
プレーはできません。

英語ができた上で、

いろんな国で
プレーする中で

その国の言語を
学んで行くことがベストです。

英語は
若いうちからやるべき。


チームが
負けるようなことがあった時、

そこで、自分と代えようと
思ってもらえるような

姿勢は常に
見せ続けないといけない。


課題は常にボールに
関わり続けることや、

自分を使うことで

必ず結果に結び付けられる
というところ。


自分のプレーができればいい。


ぱっと見は小さくて弱い
日本人だと見られてしまうし、

言葉も最初から
ハキハキ話せるわけではない。

だから、より一層

自分のプレーで
見せていかないといけない。


直前まで自分が出るか
どうか分からなかったんですが、

出た時に、
チームが勝つための、

自分が活躍するための
準備はしていました。

やっとチャンスが
来たと思いましたし、

ゴールを決めらえて、
その機会をモノにできたかなと。




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