「辛い」という
字の上についている
ちょっぴりの点を、
十という字に変えると
幸せになるんです。
十分辛くて、
はじめて人は
幸せになるんです。
中島 みゆき
■中島 みゆき
中島 美雪(なかじま みゆき)
1952年2月23日生まれ
北海道札幌市出身
1975年 ヤマハ『第9回ポピュラーソング
・コンテスト』に「傷ついた翼」が入賞
1975年 シングル「アザミ嬢のララバイ」
でデビュー
以来、数々のヒット曲をリリース
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中島 みゆき
今日、何してましたか?
私も、ほぼ御機嫌に
なんとか生きてます。
1に体力、
2に自分を好きでいること。
20歳の時より30歳のほうが、
30歳の時より40歳になった時のほうが
素敵だな、と言われるような
年の取り方をしたいです。
夢は、
叶ったほうがいいです。
でも
叶わない夢もあります。
かたちを
変えでもしないかぎり、
どうにもならない
夢もあります。
どんなにかたちを変えてでも、
どんなに傷つきながらでも、
いつかきっと
あなたの夢が叶いますように。
私にとって小さな夢は、
母親にいい物を食べさせ、
いい物を着せたいことです。
“ちがう”ということを
大いに尊敬したいなぁと思います。
できない相手に対して
侮蔑することもないし、
できない自分を
卑下する必要もない。
全ての人に
自分の良さを
分かってもらうことは
無理でも、
ちゃんと分かってくれる人が
必ずどこかにいるはず。
先を急ぐ人たちは、
たいてい何かを
落としてしまうものだから。
言葉はあくまでも
道具なんですけど、
手に負えない
道具なんですねえ。
まだ小さかったときに、
なんか暴言を吐いて、
両親に
「刀で切った傷は
薬つければ治せるけれど、
言葉で切った傷は
薬では治せないんだよ」
って言われまして。
「幸せ」という字は、
「辛い」という
字の上についている
ちょっぴりの点を、
十という字に変えると
幸せになるんです。
十分辛くて、
はじめて人は
幸せになるんです。
くじけないで
頑張って下さい。
人の命が
失われることによって、
自分が生きていることを
初めて実感するという
悲しい現実を、
私たちはくり返しています。
そして
それをすぐに忘れます。
けれど、
忘れずに見守らなければ
ならないものがあるよと、
こうして
教えてくれた人々に、
私は人間として
感謝しなければ
ならないと思うのです。
タレントになろうなんて
考えたこともないのよ。
まず自分自身を
追求していくだけ。
歌をひとに
聞かせてやるとか、
与えてやるという
思いあがりはイヤね。
生きている自分を
確かめていることで、
結果的に共鳴が
得られるのは
嬉しいことですけど。
私のスケジュールは、
何をおいても仕事のため
体調を完全に整えるよう
考えてつくるので、
万が一デートのお誘いを、
喉の状況によくない
タイミングでいただいたとしたら、
行かないほうを選びます。
どんなにデートが楽しくても、
それで次の日に
声が出ないことのほうが
悔しいもの。
旅先にいて
気分を休めるって意味で、
京都の壁を見てるのが
好きなんですよ。
京都まで行くと、
そこらじゅうに
壁があるからね(笑)。
だからアホみたいに
ジッと壁見ている人いたら、
私ですから(笑)。
小さいころ、
みんなが楽しそうに
なわとびをして遊んでるの。
それを見てて、
はいりたいなあ、って思う。
だけど、どうしても
“入れて……”って
いえないの。
自分でいうのも
おかしいんだけど、
すごく気分屋さんというか、
心の動きが激しいんです。
1分1秒で
気分が違っちゃうわけ。
バカみたいに
パッと明るいときもあるし、
深く深く
沈みこんじゃうときもある。
いつだって物語のように
なんかいかなかった。
別れはみっともなかったし
愛はお笑い沙汰だった。
言えばよかった筈でも
とてもありがとう
なんて言えなかった。
言えばよかったこと
そして言わなければよかったこと
いつだって物語のように
なんかいかなかった。
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