自分を信じ続けたことが
大きな理由だったと思います。
どんな逆境にいても、
どんな壁が生じても、
これまで耐えて頑張って来た
時間や自分を信じ続けることが
デビューへ
導いてくれたのではないでしょうか。
UNICODE(ユニコード)
■UNICODE(ユニコード)
グループ名の『UNICODE』は、
『Unity(統一性)』と『Code(コード)』の合成語
MIO(ミオ)、HANA(ハナ)、ERIN(エリン)、
SOOAH(スア)、YURA(ユラ)の5人。
2023年 ABEMAで公開された
オンラインオーディション『PROJECT K』で
選抜されたメンバーを含む
5人組ガールズグループ。
2024年 日本デビュー。
□ミオ
2002年10月9日生まれ
熊本県出身、身長:160cm
□ハナ
新潟出身、身長:160cm
□エリン
1998年10月25日生まれ
福岡県出身、身長:160cm
□スア
1999年2月26日生まれ
福岡県出身、身長:160cm
□ユラ(由良)
1996年9月16日生まれ
鹿児島県出身、身長:160cm
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MIO(ミオ)・名言
明確な夢や目標を持ったら
とにかく“自信”を持って
行動する事が大切だと思います。
夢を追うという事は
もしかしたら
失敗するかもしれないし、
誰かに反対をされることも
あるかもしれません。
けれど、
やると決意したのなら
自分自身とその夢だけは
疑わないで
まっすぐに信じて欲しいです。
それが結果的に
自分を輝かせ、
夢への道を作ってくれる
のではないかなと思います。
あまりにも心配性で臆病な私に、
父がいつも
「なんとかなるさ」と言ってくれました。
起きてもいないことの
心配ばかりして立ち止まっていては
なにも始まらないので、
なんとかなるという気持ちも
時にはすごく
重要ではないでしょうか。
常に自分を認めて自信を持ち、
成長を止めない。
HANA(ハナ)・名言
高校卒業後すぐに、
両親の反対を説得して
韓国に留学しましたね。
韓国にボーカルダンスアカデミーがあって、
そこで週2、3回行われている
オーディションを毎回受けて、レッスンも受けて、
語学学校にも通う生活でした。
全く会話できない状態で
渡韓しました。
初めての1人での
海外だったので、
言語も何もできないまま
行きました(笑)。
『なりたい』という
強い意思を何度も伝え、
家族会議を重ねて説得しました。
何度も泣きました。
あの頃は凄く大変でした。
最終的には
『ハナがしたいことだから、
人生1度きりだし、
若いうちに挑戦しておけ』
ということで、
両親も応援してくれました。
先生が
『夢を持っていても
行動に移せる人は本当に少ない。
だから誇りを持って
挑戦しなさい』
と言ってくださり、
それが最後の一押しになりました。
未来の自分を信じて
夢を叶えた姿を想像しながら
それをモチベーションに
することだと思います。
私もここまでくるまで
とても辛い時期が何度もあり、
その度に諦めるべきか悩みました。
ですが、
自分がキラキラしたステージで
踊っている姿を
思い浮かべると諦めきれず
「今頑張ったら夢が叶う!」と
自然に思えて
頑張ることができました。
夢を叶えた自分の姿を
想像するだけでも
気持ちのあり方が違うので
とても大切だと思います。
東京ドームのステージに立ったら
どんな景色が見えるんだろう。
ERIN(エリン)・名言
小学生の頃から
K-POPがずっと好きで
よく動画を見たり
曲を聞いたりしていたのですが、
自分も必ず同じステージに立ちたい
という気持ちを抱き始めました。
そのステージからは
一体どのような景色が見えるのだろうか?
そこではどのような
音が聞こえているのだろうか?
私も実際にそこに立って
必ず直接感じてみたい、と思い
K-POPアイドルを
目指すようになりました。
1日中インターネットで検索をし、
幼いながら
コンピューターを駆使し
質問サイトで質問までした
記憶があります。
人生で初めて明確な
“目標”ができた瞬間であったため、
その時の感情や温度、匂いは
一生忘れられないです。
韓国に行きたいと
高校1年生の頃に初めて伝えたときは
『母国語もままならないのに
海外に行って何をするんだ』
と言われ、大反対されました。
まず学校の勉強から
しっかりしようと思って
勉強するようになりました。
クラスで成績が
最下位か下から2番目を
ずっと行き来していたんですが
『5位以内に入ったら』って
ことになりました。
無理だって
思ってたんでしょうね(笑)
私はやるしかないと決めて、
ず~っと勉強して
5位以内に入って
約束通り韓国に行かせてもらいました。
当時『行動で見せるしかない』と思って
韓国語も同時に始めて、
福岡県で行われた
韓国語の弁論大会に出場して
優秀賞をいただいたり、
検定試験を受けたりして
両親に認めてもらいました。
『ここまでやるんだったら仕方ない』
って言われました(笑)。
渡韓したときには
日常会話に困らないぐらいのレベルでした。
私自身韓国で
K-POPアイドルの練習生を
他社でも経験しながら、
デビューが決まる瞬間よりも
デビューが無くなる瞬間を
幾度と目にし経験していたため、
正直な気持ちでは
デビューショーケース当日になるまで
不安な気持ちを
拭い切れませんでした。
デビュー当日、音楽番組に初めて
出演させて頂いた際に
デビューするという実感が
やっと湧きました。
また、パフォーマンスをしながら、
他の先輩方が立っていた
ステージからは
こんなに綺麗な景色が見えていたのかと
すごく感動を受けました。
この夢を必死に守りながら
これまで過ごした時間が
走馬灯のように過ぎ去り、
涙を堪えながら
パフォーマンスをしたことは
生涯の思い出となると思います。
何よりも、
自分を信じ続けたことが
大きな理由だったと思います。
どんな逆境にいても、
どんな壁が生じても、
これまで耐えて頑張って来た
時間や自分を信じ続けることが
デビューへ
導いてくれたのではないでしょうか。
常に肯定的なマインドを持つこと、
周りへの感謝を
忘れずにいることで
良いメンバーに出会うことが
できたとも考えております。
SOOAH(スア)・名言
私がK-POPアイドルを
目指し始めたきっかけは
友人がSHINeeさんを
お勧めしてくれたのが始まりでした。
初めて見た時、
素敵な音楽とステージの完成度に
目を輝かせ
同じ動画やMVを飽きるほど
再生していたのを今でも覚えています。
いつか直接聴いてみたいと思い、
学生ながら
お年玉で友人とライブに行ったり
1人で初めて夜行バスに乗り
他県のライブに行ったり
するようになりました。
ステージが始まる前のワクワク、
素晴らしい歌を
最高の歌唱力で歌い
洗礼された振り付けのダンスを
楽しく踊っている姿を見ると
私まで楽しく
幸せな気持ちになっていました。
また会場で出会う
同じファンの方々との交流も
1つの楽しみでした。
私の好きなアーティストのおかげで
幸せな気持ちとは別に
辛い事を乗り越える力、
また人とのつながりまでも
与えてくれました。
私も誰かのそんな存在になりたい。
ステージの上で
沢山の人に幸せを伝えたいと
思うようになったのが
K-POPアイドルになりたいと
思ったきっかけです。
デビューが決まるまでは
「生まれ変わったら
違う人生を歩んでみたい」
と思うぐらい
過酷なものだったのですが、
デビューできると聞いた瞬間
今まで辛かった思い出が
一気に無くなり
「夢って本当に夢で終わらせず
叶える事が出来るんだ!」
と自分の中で大きな自信に
変わっていったのを覚えています。
とにかくなんでも
行動に移すチャレンジ精神です!
昔から
「思い立ったらすぐ行動!
迷ったらすぐ行動!
まずはやってみよう!」
をモットーに生きています。
韓国でデビューするために
オーディションを受けていた当時、
韓国の会社が日本で開催する
オーディションの数が少なく
「もっと受けたい!」と思い、
ネットで現地にて受けられる
オーディションを探し
週末によく韓国に行き
オーディションを受けていました。
学生時代、平日には
学校に行きバイトもしながらの
生活もあり、
両親に言えば止められると思い
前日に飛行機を探して
こっそり韓国に行き、
月曜日の朝空港から
直接学校に行った事も
何度かありました。
両親も
その熱心な私の姿を見て
止める事も無くなり、
陰ながら
応援してくださいました。
韓国に住みながら
オーディションを受けた方が
良いのではないかと思い、
ついに韓国の学校に入学する事を決め
韓国でアルバイトをしながら
オーディションを受け、
韓国の会社と契約する機会もいただき
あの時不安で沢山ながらも
チャレンジし続けた自分を
少し褒めてあげたいです。
チャレンジするまでは
失敗したらどうしようなどの
不安な気持ちはありますが
何もせず失敗もせずに
後悔する事が
1番悔しいと私は思います。
チャレンジした分、
経験量も増え自分の強さや
自信にも変わっていくのでは
ないかと私は思います。
自分たちを信じて
毎日努力を積み重ねていく。
YURA(ユラ)・名言
韓国でやりたいという
気持ちが強かったので、
音楽やダンスの構成、
歌の実力だけでなく、
練習期間を長く経てからデビューする
韓国のシステムが魅力的で、
自分もその中で
上り詰めていきたいと思って
K―POPだけを見てきました。
コロナ禍前まで、
1ヶ月に1回ほどのペースで
韓国へ渡り
オーディションなどに
参加し続けましたが
結果は実らず、
それでも諦めきれず
アルバイトをしながら
オーディションを受け続けていましたが、
コロナ禍で韓国にも
簡単には渡れなくなり、
気持ちは諦めきれませんでしたが、
事実上諦めなければならない
状況になってしまいました。
諦めていたところに
PROJECT Kという
UNICODEができるきっかけになった
オーディションがあったので、
『これでダメだったら完全に諦めよう』
というので
最後の挑戦として受けました。
韓国語は独学で、好きな一心で。
家のテレビに韓国の
バラエティーやドラマが常についていて、
字幕を見ながら
耳で聞くというのを
繰り返していました。
言いたい言葉を思いついたら、
その都度、調べてました。
1番難しいのは発音なんですけど、
これは実践あるのみです。
どんな状況でも諦めずに
挑戦し続けることに
限るのではないかと
わたしは感じました。
どんなに困難なことでも
たとえ叶わないかもしれなくても、
未来の自分に
後悔のないようにするためには
納得いくまで挑戦し続けて、
最後まで諦めない気持ちで
挑むことなのではないかと思います。
そしてその夢に対しての
好きな気持ちも重要だと思います。
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