【夢を叶える名言・格言集】
浜田 雅功


ツッコミは
そんな簡単にでけへん。

だから俺は、
最初ツッコミというんは

どういうものなんか一から
勉強せなあかんかった。

最初の頃は
やっぱしんどかった。

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浜田 雅功

■浜田 雅功(はまだ まさとし )
1963年5月11日生まれ。
兵庫県尼崎市出身。
血液型:A型、お笑いタレント。

1982年 小学校から中学校時代の
 同級生である松本人志を誘って
 吉本総合芸能学院第1期生となる。

1991年-1997年
「ダウンタウンのごっつええ感じ」
2000年 「ジャンクSPORTS」
 がスタート。
2005年 「芸能人格付けチェック」
 がスタート。
その他、バラエティー、CMなど、
数々の作品に出演。

浜田 雅功・名言


松本は俺が見つけたんや。

誰にも渡さへん。
大事な金づるやし。


いや、俺はね、

いろんな業界の人と
一緒に仕事してきたけど、

お笑いやってる人間が
一番賢いと思うよ。


オレは他の誰にも負けへんくらい、

松本のファンなんかもしれん。


松本と別れることがあったら、
俺はお笑いはしない。

最高の笑いを見続けてきたから、
他の笑いなんてできないでしょ。


他の人が成功したら、
嫉妬するかも知れないけど

松本の成功は本気で喜べる。
心から応援している、唯一の人。


ダウンタウンが
解散してもたぶん

松本はこの仕事を
やってるやろと思う。

やってなおかしい。
あいつはスゴイもん。

勝たれへんもん、
誰もあいつには。


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吉本興業に入ったころの給料は、

ホンマ、月に1万2千円とか
そんなもんやった、

正直なところ

よう生きとったと思いますわ、
ボクも松本も。


松本はハナから
エキスパートやったから。

ボケというのは
持って生まれたもんやからね。

その人のキャラクターと
センスでいける。

だから「俺がツッコム」と。


俺が他の誰かと組もうが
ピンになってやろうが、

お笑いというところでは

「ダウンタウンには
ぜったい勝てへん」と思う。

松本はやって
いかれへんわけはない。

でも、俺はもう
お笑いには、おれへんと思う。


ツッコミは
そんな簡単にでけへん。

だから俺は、
最初ツッコミというんは

どういうものなんか一から
勉強せなあかんかった。

最初の頃は
やっぱしんどかった。


ふたりで組んだばかりのころ、
ボケとツッコミという

役割分担はなくて、
半々でやってた。

あっちがボケたら
俺がツッコミ、

あっちがツッコんで
俺がボケる。

でも、
ひと月もやっているうちに
わかってくる。

俺の口調はボケやない。

相方の見た目、しゃべり方、
センス、そういうもんを考えたら、

やっぱり松本がボケで、
俺が完璧にツッコミをやるほうが、

よりおもしろくなるやろと。


新聞社の人が
いきなり来られたんですよ、

われわれが養成所の時に。

「紳助竜介が今、
解散宣言しました」と。

「あなたたちの漫才を見て
辞めたって言ってるんですけど、

なにかコメントありますか」
って。


ダウンタウンとは松本である。


笑いだけでやっていく
つもりはないんですよ。

隣が偉大過ぎるから。


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「浜田」と「濵田」


一人で仕事したときに、
コケようが何しようが、

全部オレの責任。

それをあの、
「浜田」でコケると、

うちの相方さんにも迷惑かかる。

「ダウンタウンの浜田」って
絶対見られるやんか。

ただ、気持ちの中で
本名の「濵田」で

オレは仕事をしてる、
ってなると、

オレの気持ちの中で

『いや、オレが蒔いた種で、
オレが勝手にコケた』ってなる。

もちろん、
世間はそう見ぃひんよ。

どっちにしたって

「ダウンタウンの浜ちゃん」
でしか見ぃひんけど。

オレの中のケジメとしては
『いや、本名でやった』と。

あの「浜田」だけは
なんかこう、

しょぼいことでけへん、
みたいな。


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大御所などをイジることについて


怒られたら怒られたですよ。
それも勉強ちゃいますか(笑)

それに、外から見たら、

わーわー勝手にやってるように
見えるでしょうけど、

普段からちゃんと
関係性を作ってますから。

自分で言うのも何やけど、

けじめはちゃんとして
おかないといけない。

それをできる関係性ってのは
当然あって、

それを知らんと
踏み込むとえらいことになる。

関係性なく外から
いきなり来たやつが、

「やっていいんや」と思って

どついたりすると、
そりゃ絶対許されない。


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浜田雅功の50歳誕生日に送った手紙

■2013年05月12日放送
「ダウンタウンの
ガキの使いやあらへんで!!」


ライセンス・井本貴史より
浜田雅功の50歳誕生日に送った手紙全文


浜田さんへ。
50歳のお誕生日、
おめでとうございます。

12年前に上京してすぐ、
浜田さんとお会いしてから、

今までいろいろなことを
教えていただきました。

状況当時の僕は、
ボケからツッコミに変わり、

ツッコミとは何かを全く分からず、

正直、やっていけないかな、
と思っていた時に、

一からツッコミのことを
教えてくださったことを、

本当に感謝しております。

今思えば、
浜田さんからしたら、

『そんなこと、自分で考えろ』
というようなツッコミの基礎を、

毎週のように朝まで細かく
教えてくださったことは、

僕の大切な財産です。

プライベートでも、

当時の僕はお金がなくて、
御飯を食べれない時に、

『腹へってんのやったら、
電話してこい』

と言ってくださり、
ほぼ毎日電話して

御飯をご馳走になっていました。

その時に
浜田さんがおっしゃった、

『偉そうに言うつもりはないけど、
俺といるときはエエもん食べろ。

自分で御飯食べる時は、

お金ないねんから、
安いもの食べろ。

一番上と、一番下を知ることで、
人間としての幅が広がるから』

と言ってくださり、

いつも高いものを
ご馳走していただきました。

今、僕にも後輩ができ、

後輩たちにも出来る範囲で
伝えています。

たくさんのことを教えてくださり、
本当にありがとうございます。

なかでも、僕にとって忘れられない
浜田さんの一言があります。

本当は、
テレビで絶対に言わないで
おこうと思っていた話ですが、

今回、こういう機会を
いただいたので、
お話させてください。

浜田さんには、

「怖い」とか「短気」みたいな
イメージがありますが、

僕が浜田さんに

本気で怒られたのは、
12年間で1回だけです。

浜田さんは、
覚えておられないと思いますが、

上京して間もない頃、
3回目の食事に

連れて行っていただいた
時のことです。

まだ、浜田さんにお会いして
間もないということもあり、

浜田さんが怖いとか、
怒られると思っていたので、

失礼がないように、

細かくお皿を変えたり、
灰皿を変えたりしていると、

『自分で出来るからええで。
御飯食べ』

といっていただき、
それでも僕は緊張もしていたし、

やっぱり怖かったので、
お世話を続けていると、

『ホンマにええって』と、
軽く怒られました。

それでも僕は何かを
しなければいけないと思い、

帰りの駐車場で、

「浜田さんの車、僕、
運転して帰ります」

というと、

すごい形相で浜田さんは
僕の顔に近づき、

『お前、東京、何しにきてん?』
と言われ、

僕は質問の意味が分からず
「え?」と返すと、

さらにすごい形相で

『だから、東京、何しにきてん?』
と聞かれたので、

「売れたいからきました」と言うと、

『そうやろ。
運転手しにきたんちゃうやろ?

横乗れ。家まで送ったるわ』
と言って、

家まで送ってくださいました。

あの時、浜田さんに
言っていただいた一言と、

送っていただいた時間が、
僕の宝物です。

そして、「売れたいからきました」

といった自分の一言を信じ、
今でも頑張れています。


>>>松本人志の名言集

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