【夢を叶える名言・格言集】
工藤 静香


娘たちに伝えてきたことは

「人への感謝を忘れないこと」

工藤 静香

■工藤静香(くどうしずか)
1970年4月14日生まれ
東京都羽村市出身
家族:木村拓哉CocomiKōki,

小学生時代から劇団『東俳』に所属。
1984年
 『ミス・セブンティーンコンテスト』
 に出場し特別賞を受賞。
1985年
 セブンティーンクラブを結成し、
 レコードデビューを果たす。
1986年
 バラエティ番組『夕やけニャンニャン』
 のオーディションコーナーで合格。
 おニャン子クラブの会員番号38番。
1987年
 生稲晃子と斉藤満喜子らとともに
 うしろ髪ひかれ隊を結成。
1987年
 シングル「禁断のテレパシー」で
 ソロデビュー。
1988年
 「MUGO・ん…色っぽい」で
 オリコン週刊チャート1位を獲得。
 「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。
1989年
 「恋一夜」「嵐の素顔」
 「黄砂に吹かれて」が大ヒット。
1997年
 石橋貴明と「Little Kiss」を結成し、
 シングル「A.S.A.P.」を発売。
2019年
 初の洋楽カバー・アルバム
 『Deep Breath』をリリース。
2021年
 中島みゆきのカバーアルバム
 第2弾『青い炎』を発売。

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工藤 静香・名言


一生懸命頑張った自分を

自分で認めてあげることが大事。


ずっと続くものなどないから、

ちゃんとしておかないと。


自分で決めたことは、貫き通す。


歌手としても、
一度失敗したことで

多くを学ぶことができたので、

デビューしたからといって
天狗になることもなかった。


おニャン子クラブを卒業した後は、
必死でしたよ、必死(笑)。

ソロデビューした当時は
舐められてはいけないと、

心を強く保つのに必死でした。


“ソロアーティスト・工藤静香”を

どうやって
作っていくかを考えて、

髪型やメイクやネイルなど、
たくさんチャレンジしました。

葡萄色のような
口紅をつけたりね(笑)。


とにかく

“アイドルが
やってないようなことを

やらなくちゃ!”と

思っていましたね。


「情熱」は、
お仕事をしている上で

全てにおいて大事なこと。


とにかく情熱があれば
なんとかたどり着けるし、

もしそれが
果たせなかったとしても、

自分がかけた情熱で
自分に納得できる。


ここまで自分はやった、
燃えた。

それでダメだったら
しょうがない。

今じゃなかったんだと
自分で納得できる。

そのために常に
情熱を燃やしていたい。


娘たちに伝えてきたことは

「人への感謝を忘れないこと」。


動物園も遊園地も、
全部制覇しました。

誰かに頼んで

子どもだけ
連れて行ってもらうことも

できたと思います。

でも、それはイヤだった。


自分が産んだ子だから、
自分で連れて行きたかったし、

子どもが初めて
目にするものは、

自分も一緒に
見たかったんですね。


自分の子なんですけど、
自分のモノではないので。

預かってるので、命を。

だから、ちゃんと
気をつけなきゃなって。


子供たちが20歳になるまでは、

本当に一生懸命
やらせていただくというか。

彼女たちの命じゃないですか。

だから、
栄養のバランスとかも

小さい時から
凄く考えてました。


愛情が
有り余っちゃってるんだと思う。

私は愛情はたくさん注いで、

いらない分は
溢れ出るだろうと思っているので、

だからもう注ぎっぱなし。


この愛情の注ぎ方は
娘たちが引き継いちゃったみたいで、

Cocomiのほうは

もうちょっとクールで
いられるかなと思うんですけど、

Kōki,のほうは
愛情をたくさん注ぐ感じがしていて、

ちょっと心配ですね。

二人とも愛情深いから、

素敵な人とめぐり会って
欲しいなぁなんて思ってます。


彼女たちの人生なので、

私はただサポートできれば幸せです。

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