【夢を叶える名言・格言集】
白川 裕二郎

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白川 裕二郎

■白川 裕二郎(しらかわ ゆうじろう)
1976年12月11日生まれ。
神奈川県横浜市港北区出身。
身長:184cm、血液型:A型。
歌謡グループ「純烈
 のメンバー。
朝日山部屋所属の元大相撲力士。

2002年『忍風戦隊ハリケンジャー』
 のカブトライジャー役でデビュー。
2010年 歌謡コーラスグループ「純烈」
 としてユニバーサルミュージックより
 「涙の銀座線」でメジャーデビュー。
2018年『第69回NHK紅白歌合戦』
に純烈のメンバーとして紅白に初出場。
その他、ドラマ、映画、バラエティなど、
数々の作品に出演。

白川 裕二郎・名言


僕が、最終的に
やろうと決めたのは、

リーダー

「紅白に出て親孝行しよう」
というひと言だったんです。


悲しかったことは、
やっぱり親父の死かな。

僕が小学6年の時だったんだけど、
病気でね。

駄目だね、
今でもやっぱり、

あの時のことを思い出すと、
苦しくなる。


お父ちゃんが
息を引き取った瞬間、

お母ちゃんが泣き崩れてね。

ベッドにすがりついて
ワンワン泣き始めたんです。

その時の姿を、
声を忘れられなくて。


それからほんとうに
お母ちゃんが苦労してね。

だからこそ、
もっともっとがんばって、

紅白出て、親孝行というか、

お母ちゃんを
幸せにしたいんだよね。


純烈としての大きな目標は、

紅白に出たい。


あれから11年ですか…。

夢を持って掴むのに
それだけ時間がかかりました。

でもね、そんな果てしなく
長い時間も

この瞬間で全部報われました。
本当に。


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結成以来10年超変わらずに
掲げて来た目標であった

紅白歌合戦という舞台。

言い続けていれば叶う、
諦めなければ叶う。

そんな事を少しでも表現
出来たのかなと思っています。


「夢は紅白親孝行」を

キャッチコピーで
ずっとやってきた我々。

僕にとっては少しだけ

「親孝行」をして
あげられたと思ってます。


挑戦し続けたいんですよ。

燃焼したいというか。


基本的に出来ないとかは

あまり言いたくないんです。


「仕事」も「遊び」
もどちらも、

「半端」ではなく

「本気=思いっきり」
でやれる

『男』が理想。


下手でも何ヶ月間の間に
努力をしなければいけない。

それが役者だったり
アーティストの責任感であり

使命だと思う。


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うちのファンの方々の熱は
本当に強烈で、

ご自分に掛けた保険を
解約してまで

応援してくださる方や、

もう家一軒買えるほど

CDを購入してくださった
方もいます。

だから紅白のステージは、
僕ら5人だけでなく、

そんなファンの方々との
合作だと思っています。


ファンの人たちが
おもしろい(笑)。

何かあって来れなくなったら

嫌いになったわけじゃないと
事前に「遺書」を手渡した人や、

ゴルゴ13の仮装で来る人とか。


マダムの皆さんは、

欲がブラックホールのように
すごく深いので、

一生懸命、皆さまに
愛を振りまきたいと思います。


せっかくオファー
してくれたんだから、

ダメでしたというのは
努力した最後の最後に

言うべきものなのかなって
自分で思っています。


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少しでも自分の持ってる力を
100%出せるようにって。

努力できるところは
努力するというのを、

自分の中で課している。


嬉しかったことはね、

ハリケンジャーの
オーディションに受かったこと。

僕にとっては、そこから
全てが始まったと言っても

過言ではないくらいな
出来事だった。

純烈のメンバーに会って、

現在に至るキッカケにも
なったことだしね。


ただ感情込めて、

声を張り上げれば
良いってもんじゃなく、

プロの歌い手なら、
テクニックを使いこなしてこそ、

本物なんだなって学びました。


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