【夢を叶える名言・格言集】
東京03


楽屋も3人で一緒、

仲良くないと
やってられない(笑)。

東京03

■東京03
1995年 飯塚悟志と豊本明長が
 「アルファルファ」を結成。
2003年 角田晃広が加入し、
 「東京03」を結成。
2009年 キングオブコント2009で優勝。

メンバー
■飯塚 悟志(いいづか さとし)
1973年5月27日生まれ
千葉県出身
身長170cm、体重60kg、血液型:O型

■角田 晃広(かくた あきひろ)
1973年12月13日生まれ
東京都出身
身長172cm、体重62kg、血液型:A型

■豊本 明長(とよもと あきなが)
1975年6月6日生まれ
愛知県出身
身長175cm、体重65kg、血液型:A型

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東京03・ギャラ配分


飯塚、角田がネタを作り、

2人の手書きの原稿を
豊本が清書してプリントという

メンバーの基本的な役割。


ギャラは3等分です。

角田がドラマに出ても
3で割ってる。

(飯塚悟志)


本当に角ちゃんが
ドラマで評価が上がってきて。

お仕事いっぱい
いただけるようになって、

ちょっと
もらいづらくなってきた。

ピンの仕事の3等分は
そろそろやめようかな。

(飯塚悟志)


ギャラ3等分を辞めました。

豊本が後輩を呼び出して

パソコンでネタを
清書させていたことが

発覚したから。

(飯塚悟志)


豊本にやってもらうように
戻したの。

そしたら、そこから
ミスがめちゃくちゃ増えて。

結局、清書は

後輩にお金を払って
続けてもらうことになった。

そっちの方が
ストレスたまらないから。

(飯塚悟志)

角田 晃広・名言



嫌なことが起きたとき、

自分の気持ちが
落ち込まないように、

あえて前向きな言葉を
言うように意識してる。


大学の時に、
プロどうこう関係なく誘われて、

そのままの流れで進んでいって。

どうせしっかりやるなら
事務所でも入ろうかってことに。

豊本 明長・名言



高校卒業する時に、

サラリーマンも嫌だし
大学受験も嫌だし、

お笑いは楽しそうで
上京もできるって思って、

勢いでバーッと何も考えずに
東京に来ました。


親に最初お笑いやるって話した時も

「東京に行こうと思ってるんだけど」
って言ったら、

「あ、そう」
って言いながら

競馬新聞を
見ているぐらいの感じで(笑)。


毎日を忙しくして

現実逃避するのはやめる。


どんな中身でもいいから

とりあえず
仕事の予定を入れて

忙しくしていれば、
それなりに落ち着く。

「なんかやってるからいいか」
って

逃げられるんですよね。


何の狙いもなく、
方向性もブレブレの仕事を

ただ“やってる”だけ。

当然、一応やってるけど

何も結果に
つながっていかない。


僕“やるべき”ことが決まれば、

あとはひたすらそこに
向き合えばいいみたいなタイプは、

変に自分でもがいて
余計な空回りを続けるより、

「自分が信じるリーダーが
信じたことをひたすらやる」

に徹したほうが絶対いい。

飯塚 悟志・名言



角ちゃんは当時、

別の人と「プラスドライバー」って
トリオを組んでて。

すげえ才能があるやつだ、
って思ってたのに、

解散したから
辞めるとか言い出して。


「もったいないよ!

だったら
俺らと一緒にやろう!」

って必死に
引き止めましたね。


それで3人で
東京03を結成したんです。

その時点で、もうこれで
駄目だったらすぐやめよう、

自分たちが
やりたいことしかやらない

っていうのも
決めたんです。


「才能のある
角田を辞めさせない。

世の中に出す」

ってことが、

自分の使命みたいな
もんだと思ったんですよ。


短いネタなんか無かったし、

当時「爆笑レッドカーペット」
ブームで、

我々も一分のネタを作って、

ディレクターに見せに行かなきゃ
いけなかったんですけど、

それが嫌だったから
ちゃんと断ったりもしてました。


今までは

「どうすれば自分が面白くなるか」
「どうすればウケるか」

ばっかり考えてたけど、

最近はすっかり

「その場が面白くなればそれでいい」
って考えに変わりました。


僕の中では

"お笑い=コント"って
イメージがあったから、

漫才をやろうと思ったことは
一回もないです。


お笑いを
やりたかったんですけど、

自分にできるわけがないと
思っていたし、

性格も内向的だったので。

人前で何かやるなんて
もってのほかだったんです。


高校の進路相談で

大学に行くか、就職するかって
訊かれたときに、

ここでやらなかったら

後悔するだろうな
ってぐらい

好きだったんです。


第7世代の子たちは
皆仲良くやってるし、

お互いのネタを
笑いあったりもして。

すごくピュアだし、
羨ましいですね。

その感じで若手時代を
過ごしたかったなって

心から思いますね(笑)。


僕は誰よりも
ゲラなんですけど、

他の芸人のネタで
笑っちゃいけないとか、

友達はいらないって
思ってたりしていたので。


楽屋も3人で一緒、

仲良くないと
やってられない(笑)。


3人の空気も
おかしくなる時があるんですよ。

仕事を続けていくと、

それぞれの虫の居所が
悪い時もあるし。

いい関係をキープするのが
大変なんですよ、

だからいっぱい
話し合わなきゃいけないし。


うちは天才が1人もいないので、
やっぱ3人一丸となって

足並み揃えてやっていくしか
ないんですよね。

そのためには、

話が合わないと
絶対考え方がずれるから。


松本さんが

遺書」っていう
本を出したじゃないですか。

それがバイブル。


後輩でも
アンタッチャブル、ドランクドラゴン、

JCAじゃないけど
人力舎に入ってきた

おぎやはぎ。

そのへんが
天才だったんですよ。

そういうすごい人たちと
一緒にやれたのは

相当大きかった。


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