スカした感じよりも、
自由にいい加減にやった方が
笑いがとれた。
有田 哲平
■有田 哲平(ありた てっぺい)
1971年2月3日生まれ。
熊本県熊本市出身。
お笑い芸人。
1991年 上田晋也と共に
お笑いコンビ『海砂利水魚』を結成。
その後『ボキャブラ天国』で人気に。
2000年 『新・ウンナンの気分は上々。』の
企画 において
コンビ名を「くりぃむしちゅー」
に改名させられる。
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有田 哲平・名言
海砂利時代、
オーディションは2人で受け
「1人でお願い」と言われると
「じゃ結構です」と断って。
チャンスなのに俺たちは
コンビでしっかりやって、
足元を固めようみたいな、
こだわりの時期があった。
「何のためにもならない、
くっだらない、
観ても何の足しにもならない
こんな番組だってあるんだ」
っていうことを
知ってもらいたいんです。
本来TVって
そういうものでいいと
僕は思うんですよね。
僕自身、
芸人になりたかったのは
「いいなああの人たち、
いい大人なのに
遊びみたいなことして
ごはんが食べられて」
って思ったからなんです。
良識ある大人が観たら
「けしからん」
って思うかもしれませんが、
今のTV界ではなかなか
お目にかかれないような、
くっだらないものを
ゆるっと観ていただければ
いいなと思いますね。
欽ちゃんが
『なんで君は
真面目にやるわけ?
あなたはレールひいたものを
壊したい人でしょう?
自由にやった方が
楽しくなるんだよ、
有田君』って。
作り込んだ
スカした感じよりも、
自由にいい加減にやった方が
笑いがとれた。
みんながスカした感じで
どうする~?
とか尖りまくってる。
何個ボケ入れる?
とかやってたの。
まあそっちのライブは
ちょっとウケるけど、
それで終わりよ。
要は考え込むなと。
スカして、どう言ったら
かっこよく見えるか、
面白く見えるかとか
じゃなくて、
何にも考えずにいけって
いうことだったんだと思う。
それが君の取柄なんだからって。
萩本さんに言われたあれで
行っちゃおうかなって。
初めてヒロミさんの前で
急にキャラ変していって、
本番も『うい~す』とか
言って出ていったら、
ヒロミさんが
『うるせえんだよ!お前!』って
ニコニコしながら
ツッコんでくれたんだよね。
それを倍にして
キャラクター化したのが
ザキヤマよ。
あいつは
ほぼ倍にしていくから。
会議を重ねて作ることは
時間をかけて
本当に苦しい思いをしますが、
現場で面白いことが
起きてるんだったら、
もうそれを
捨てていくことも大事。
いっつもいろんなことを
しゃべってるんです。
未来のこと、過去のこと、
政治、社会…。
くっだらないボケをして
ツッコミ合って。
それを何時間もやってる。
ちょっと頭おかしいでしょ(笑)。
こういうスタンスが
変わってないわけですから。
「もう俺たち大人なんだし、
やめようぜそんなの」
とか言い出したりしないし。
楽屋で、
上田の新聞をひっぺ返して
『今日の朝~』とか話していて。
『うるせ~な』みたいな
顔されながら
頑張っていたんですが、
それが家でできるように
なりましたからね。
もっと前はザキヤマが
やってくれていたんですけど、
あいつも忙しくなって
僕の話を聞くという
仕事をしなくなった。
「全力!脱力タイムズ」
何を一生懸命
やっているのか分からない、
ろくでもない番組。
番組が始まった頃は、
ここまで振り切っては
いませんでしたが、
今のテレビでこんなに
ハチャメチャできる番組は
中々ないかなと思います。
すぐに“上の人”に
怒られて
終わるだろうと思っていた。
帰ったらもう
子どもは寝てるから、
ベッドに行って
顔を見てニヤッとして、
スマホで画像を見ながら
お酒を飲む。
休みの日は
近くの川原に散歩に行って、
子どもが遊んでいるのを
見ながら
缶チューハイを飲んでます。
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