自分を超えていけないと
思っているんですよね。
一気に高みにいるとすると、
今の自分とギャップがありすぎて、
それを続けられない。
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イチロー
■イチロー
鈴木 一朗(すずき いちろう)
1973年10月22日生まれ。
愛知県西春日井郡出身。
身長:180cm、体重:75kg。
血液型:B型、野球選手。
1991年 ドラフト4位で
オリックス・ブルーウェーブに入団。
1994年 シーズン210本安打で
日本新記録を更新。
2001年 シアトル・マリナーズに入団。
2004年 MLB年間最多安打記録
「262本」を樹立。
2010年 10年連続200本安打を達成。
2013年 日米通算4000本安打達成。
イチロー名言・現役引退会見
日本で9年
アメリカで19年目に
突入したところ
だったんですけど、
現役生活に終止符を打ち、
引退することになりました。
決断した
タイミングはですね、
キャンプ終盤ですね。
日本に戻ってくる何日前ですかね。
終盤に入った時です。
東京ドームでプレーする
というのが
契約上の予定でも
あったんですけど、
キャンプ終盤で結果を出せず、
それを覆すことが
出来なかったということですね。
熱中できるものを
見つけられれば、
それに向かって
エネルギーを注げる。
それを早く見つけてほしい。
見つかれば、
立ちはだかる壁に向かっていける。
いろんなことにトライして、
好きなものを見つけてほしい。
いろいろな記録に
立ち向かってきたんですけど、
いずれそれは後輩が
先輩たちの記録を抜いていくのは
しなくてはいけないこと。
人に喜んでもらえることが
喜びに変わったんですね。
ファンの方なくして、
自分のエネルギーはないと
言ってもいい。
子どもの頃から
プロ野球選手になることが夢で、
最初の1、2年は1軍を
行ったり来たり。
これは楽しかったんですよ。
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1994年、仰木監督に出会って、
レギュラーで
使ってもらったんですけど。
ここまでですね、
楽しかったのは。
いきなり番付を上げられて。
力以上の評価をされるのは
苦しいんですよね。
誰かの思いを背負う
というのは重いことですので。
1打席1打席立つことは
簡単ではない。
疲れました。
やっぱり1本ヒット
打ちたかったですし、
僕には感情がないと
思っている人もいますけど、
意外にあるんですよ。
日本に戻る選択肢は
無かったですね。
それはここで言えないな。
ただ最低50までとは思っていたし、
それはかなわずに、
有言不実行の男に
なってしまった。
多分明日も
トレーニングはしていますよ。
じっとしていられないから、
動き回ってますね。
ゆっくりしたいとかは全然無い。
動き回ってますね。
人よりも頑張るなんてことは
とてもできない。
あくまでも「量り」は
自分の中にある。
量りを使いながら、
自分の限界をちょっと超えていく。
そうするといつの日か
こんな自分になっている。
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少しずつの積み重ねでしか、
自分を超えていけないと
思っているんですよね。
一気に高みにいるとすると、
今の自分とギャップがありすぎて、
それを続けられない。
地道に進むしかない。
ある時は後退しかしない
時もあるので、
自分がやると決めたことを
信じてやっていく。
でも、それは
正解とは限らない。
間違ったことを
続けているかもしれない。
遠回りをすることで、
本当の自分に
出会えると思っている。
監督は絶対無理ですよ。
これは絶対がつきますよ。
人望がない。本当に。
人望がないんですよ、僕。
いやぁ無理ですね。
それくらいの
判断能力は備えているので。
アメリカのファンの方々は
最初は厳しかったですよ。
最初は日本に帰れって
しょっちゅう言われましたよ。
結果を残した後の敬意というのは、
手のひらを返すというか。
認めてもらった後は
すごく近くなるという印象で、
ガッチリ関係ができあがる。
頑張ってくれましたね。
一番頑張ってくれたと思います。
僕はアメリカで3089本の
ヒットを打ったんですけど、
妻はですね、およそ、
ゲーム前ホームの時は
おにぎりを食べるんですね。
妻が握ってくれたおにぎりを。
その数が2800くらいなんですよ。
3000行きたかったですね。
そこは3000個
握らせたかったなと思います。
妻もそうですけど、
頑張ってくれました。
妻には
ゆっくりしてほしいですね。
雄星のデビューの日に
僕は引退を迎えたのは、
なんかいいなぁと思っていて。
短い時間でしたけど、
すごくいい子で、
いろんな選手見てきたんですけど、
左投手の先発って
変わってるんですよ。
天才肌というんですかね。
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野球の魅力は
団体競技なんですけど、
個人競技なんですよ。
それが面白い。
個人としても結果を残さないと
生きていくことはできない。
本来はチームとして勝っていけば、
チームのクオリティーは高い。
でも決してそうではない。
あとは同じ瞬間がないということ。
必ずどの瞬間も違う。
これは飽きが来ないですよね。
2001年にアメリカに来てから、
19年の野球は
全く違う野球になりました。
頭を使わなくてもできる
野球になりつつあるような。
これがどうやって
変化していくのか。
本来野球というのは、
頭を使わないと
出来ない競技なんですよ。
でもそれが違ってきているのは、
どうも気持ち悪くて。
日本の野球は頭を使う
面白い野球で
あってほしいと思います。
アメリカの野球を追随する
必要はないと思うので。
アメリカの野球の流れは
変わらないと思うので、
せめて日本の野球は
大切にしなきゃいけないものを
大切にしてほしいと思います。
メジャーリーグに
挑戦するということは
大変な勇気だと思うんですけど、
あえて成功と表現しますけど、
成功すると思うからやってみたい、
それができないと思うから
行かないという
判断基準では後悔を生む。
やってみたいなら
挑戦すればいい。
その時にどんな結果が
出ようとも後悔はでない。
基本的にはやりたいと
思ったことに
向かっていった方が
いいですよね。
神戸は特別な町です。
僕にとって。
僕は選手を続けることでしか
できないと思っていて、
できるだけ現役を
続けていたんですよね。
神戸に恩返し
税金を少しでも
払えるように頑張ります。
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日本で基礎を作る、
自分が将来MLBでプレーする
礎を作るという考えは
できるだけ早くというのは
分かりますけど、
日本の野球で鍛えられる
というのはあるんですよね。
メジャーリーガーよりも
基本的な基礎の動きって、
日本だと中学生レベルの方が
うまい可能性はありますよ。
翔平は世界一の選手に
ならないといけない選手ですよ。
僕はピッチャーで
翔平がバッターで
対戦したかったです。
ワンシーズンごとに、
サイ・ヤングと
ホームラン王とったら。
そんなこと考えられないですよ。
でも翔平は
想像させるじゃないですか。
だから人とは違うじゃないですか、
翔平は。
ピッチャーとして
20勝するシーズンがあって、
翌年にはMVPを取ると
想像したら化け物ですよね。
体験しないと、
自分の中からは生まれないので、
孤独を感じて
苦しんだことは多々ありました。
その体験は未来の自分にとって
大きな支えになるんだよと
今は思います。
つらい事しんどい事から
逃げ出したいと思うことは
当然だと思うんですけど、
元気な時、
エネルギーのある時に
それに向かっていくのは
大事なことだと思います。
貫けたモノは
野球のことを
愛したことだと思います。
これは変わることは
なかったと思います。
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