【夢を叶える名言・格言集】
佐藤 アツヒロ


自分のことを
「私ってこうだから無理なの」と

決めつけない。

佐藤 アツヒロ

■佐藤 アツヒロ(さとう 敦啓)
1973年8月30日生まれ
神奈川県出身
身長:168cm、血液型:A型
光GENJIの元メンバー

1986年 ジャニーズ事務所に入所。
1987年 光GENJIのメンバーとして、
 「STAR LIGHT」でレコードデビュー。
1995年 光GENJIが解散。
以後、舞台俳優として数々の作品に出演。

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佐藤 アツヒロ・名言


今の自分を好きになる

生き方をしたい。


ブレたくないから、

迷ったら「信念」に従う。


自分のものさし=信念


自分のことを
「私ってこうだから無理なの」と

決めつけない。


アイドルに年齢は関係ない。

この人いいなあ、
と愛される人が

「アイドル」と
呼ばれるのだと思う。


今までって

無意識にたくさんの人に
会いすぎてたと思うんだよね。

選ぶ前に決まってたり、
誘われたからなんとなく行ってみたり。

正直言うと、あれは、

気を紛らわすのに
近い感覚だったんじゃないかなと思う。


僕は、
ストレスを持たないこと。

自分の時間を
楽しく過ごすために、

本当にしたいことを
選んでいます。


以前は自分がいる環境のなかで

居心地よく過ごす
工夫をしていましたが、

今は環境をつくることから
大切にしていますね。


事務所に入ったきっかけは、
姉が履歴書を送ったから。

いちばん上の姉がマッチさん、
下の姉がカッちゃんさん

ファンだったので、

そのバックで弟が
踊っていたらいいな、

というノリだったそうです。


高校時代は、

家の前でファンが待っていて、
電車に乗るときに何十人になり、

乗り換えるとさらに増え、
学校に着くころには

何百人になっていた
ということもありましたね。


中居と仲よくなったのは、
高校に通いだしてから。

中居と拓哉
都内の高校に転校してきて、

中居が合宿所に入ったのかな。


当時、合宿所の部屋は
ガラガラで、

開いている部屋に
中居と城島くんが住んでた。

たまに吾郎も来ていたかな。


拓哉ってブレークダンス、
超うまいんです。

『超、うまいよ。木村、教えてよ』
って言って教えてもらった。

当時、俺はバク転
できなかったんだけど、

拓哉に教えてもらって
できるようになったの。

最後の最後のリハーサルでも
できそうになかったところで、

拓哉が教えてくれたことを
覚えているんだよね。


中居とは一回、
ケンカしたんだよね。

城島くんと
3人で飲んでいたんだけど、

真剣に話を聞いてくれなくて。

すべて会話に
オチを探すっていうか、

まあ、司会業に
一生懸命なんだろうなって。

それがなんだか寂しくて。

もう、こいつとは
話ができないって。


廊下ですれ違ったんです。

あいつが覚えているか
どうかわからないけど、

すれ違いざまに
目が合った瞬間、

拓哉と俺が
ハイタッチしたんです。

会話はなくても、
お互いわかっているんだな。

きっと『あっ、久しぶり』
とかいうのは

木村拓哉らしくないんだろうな、

すれ違いギリギリに
手をパンッ!って合わせるのが、

木村拓哉なんだろうなって。


光GENJIが解散し、

V6がデビュー
することになったとき、

オレはそのとき
V6がうらやましくて。

こっから始まる人が
いるっていう

オレは今
終わったっていう感じだった。


光GENJIとして最後に行った
コンサートが終了したあとは、

「大学を卒業したつもりだ!」
と考え、

自分を納得させていた。


オレは解散したくなかったけども、

まあそれは
メンバーの多数決というか、

いろんな問題であるから。

それはオレ1人で
決められないから。


グループのために自分は
こういう風にしていきたいなとか、

いろんな考えを
言うことができずに

終わってしまったというのが
後悔。


13歳でデビューして
22歳で解散してるんですけど、

これがいいのか悪いのか。

でも今1人で
頑張れているので、

良いも悪いも過程であって、

その先は自分で
作っていくもの。


光GENJIが解散してから、

自分はもう日本から
必要とされていない

人間だと思ってしまい、
精神的に追い込まれました。

だから演劇を始めたとき、

自分が必要とされたことが、
とても嬉しくて。


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