BTS
■BTS
2013年 「2 COOL 4 SKOOL」
で韓国デビュー。
2014年 「NO MORE DREAM
-Japanese Ver.-」
で日本デビュー。
□JIN
1992年12月4日生まれ。
血液型:O型。
□SUGA
1993年3月9日生まれ。
血液型:O型。
□J-HOPE
1994年2月18日生まれ。
血液型:A型。
□RM
1994年9月12日生まれ。
血液型:A型。
□JIMIN
1995年10月13日生まれ。
血液型:A型。
□V
1995年12月30日生まれ。
血液型:AB型。
□JUNGKOOK
1997年9月1日生まれ。
血液型:A型。
JIN・練習生、下積み時代
デビューを控えて
本格的に振付を習いました。
自分の思い通りにならなくて
苦しかったです。
何度も何度もしかられて。
同じ頃にデビューした
グループがたくさんいました。
ステージに上がったからって
安心はできませんでした。
フルコーラス
歌わせてもらえないことも
多かったですから。
そんな時は
本当に悔しかったです。
だから、
もっと必死に練習しました。
実力さえあれば
負けないと思っていました。
SUGA・練習生、下積み時代
当時は
「僕の作った音楽を、
たくさんの人に
聴いてもらいたい」
ということ、
それが
僕の夢のすべてでした。
所属事務所の近くの
一番安い食事が
6,000ウォンくらいでした。
1カ月の生活費の
30万ウォンだけでは
到底足りませんでした。
MIDIのレッスンと
デリバリーのバイトを
掛け持ちしていました。
そのとき、
事故に遭ってしまい、
肩に大怪我を負いました。
もう諦めて
田舎に帰ろうかと思ったけど
メンバーに引き留められました。
会社も待ってくれました。
音楽番組の競争率は
本当に熾烈でした。
ステージに立ちたかったです。
音楽を続けたかったですから。
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J-HOPE・練習生、下積み時代
目標は、いつも
はっきりしていました。
ステージに立つこと、
最高になること。
でも、生き残ることが
先決でした。
練習生の頃は
サバイバルの連続でした。
誰かひとり入ってきたら、
別のひとりが出ていく構造。
その中で
耐えなければなりませんでした。
練習生仲間たちと
別れるのは
簡単ではありませんでした。
家族みたいな仲間たちだから。
その現実がすごくつらかった。
他のグループとは
比べませんでした。
僕たちだけのことをしました。
もちろん、
他の人には
衝撃だったかもしれません。
でも、
その衝撃で強烈な
「印象」が
残ればいいと思っていました。
どの練習生も
同じじゃないでしょうか。
本当に切実でした。
このステージで
生き残らなければならないと、
毎日思っていました。
練習生生活に
耐えられなくなり、
光州の実家に
帰ろうとした時、
ジョングクが
高速バスターミナルまで
追って行きて、
泣きながら
引き留めてくれました。
練習生時代の生活は、
"普通"とは
かけ離れた
ものだったと思います。
他の子たちや友人たちは、
学校で勉強したり
遠足に行ったりして
学生時代の思い出を
つくることができましたから。
僕はアーティストとしての
キャリアを選択しました。
学生時代の
思い出がないからと
自分をかわいそうだと
思うことは
できるかもしれませんが、
僕には夢があったんです。
練習生時代に
メンバーに出会えたのは
本当に素晴らしいことでした。
こんなに違う人たちが
一つのグループを作れるなんて、
ただただ
奇跡的だと思うんです。
メンバーのみんなに
お礼を言いたいですし、
時々あの頃に
戻りたくなることもあります。
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RM・練習生、下積み時代
未来がぼやけて
不安になることがあります。
僕の人生が、
+でも0でもない、
ーであるかのような。
「ずっと準備ばかりしている」
という思いに、
愕然としてしまった。
短い時間の中で
アピール
しなければなりませんでした。
人々の視線を
惹きつけなければ
ならなかったんです。
次はないということも
わかっていました。
選択の余地が
ありませんでした。
僕たちを証明しなければ
なりませんでした。
JIMIN・練習生、下積み時代
目の前に壁が見えたとき。
いくら頑張っても
どうにもならないという感じ...。
現実の壁は
想像以上に高かったです。
それでも諦めるという
考えはありませんでした。
どん底から這い上がる感じ...。
前も見えない状態です。
情熱だけでどうにか
なるものではありませんでした。
それでもできることは、
休みなく
自らを奮い立たせることでした。
「こんなの大したことじゃない」
という。
V・練習生、下積み時代
練習生になれただけでも
嬉しかったんです。
学ぶこと自体が楽しかった。
毎日ダンスもできるし、
一日一日を一生懸命過ごしました。
当時は、
見えなかった未来より、
その時間のほうが大事でした。
僕は踊ることが好きでした。
どんなにつらい練習でも
好きだから耐えられました。
それよりも
両親と離れて暮らすのが
辛かったです。
長く離ればなれだから
会いたくて。
家族とあまり
会えなかったことが辛かった。
巨済島にいた両親が
往復12時間をかけ、
たった30分間会うためだけに
ソウルに来てくれた。
両親は
バナナ牛乳やパンなどを
「メンバーたちと
一緒に食べなさい」
と持たせてくれ、
両親が帰る時には
悲しくなり、涙していた。
練習生生活が
あまりにも辛いために
電話をかけて
「辞めたい」と
打ち明けたこともあった。
父親は
「辛かったら辞めてもいい。
ほかに仕事はたくさんあるから、
違う職業を探してみよう」
と言ってくれた。
返す言葉が見つからず
「辞めたい」
と言った自分を、
とても恥ずかしく思った。
練習生の頃、
数えきれないほどの
仲間に出会い、別れました。
その頃から
生き残らなければ
ならなかったんです。
僕たちが実力を
つけることが大事でした。
そうすれば認めて
もらえると
確信していました。
他の人と違うということは、
僕たちの長所だと思いました。
ダイエットを
しなきゃいけないのに、
RMとこっそり
トンカツを食べに行った後、
デザートとして
アイスを食べながら歩いていたら、
向こうから
マネジャーが来たので、
2人ともとっさに
そのアイスをポケットに入れた。
考えることが同じだった。
うまくその場をやり過ごし、
マネジャーが行った後、
そのアイスを
ケットから取り出し、
「まだ食べられるよね?」
とまた食べた。
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JUNGKOOK・練習生、下積み時代
何もかもが不確実でした。
あまりにも
漠然としていた時期だったんです。
夢見る方法すら
わかりませんでしたから。
未来ですか?
ただ前をみて
歩いていったんです。
そのとき、
練習量がぐんと増えたんです。
とても消化できないほど。
でも、
実際にデビューしてみると、
井の中の蛙の気持ち?
「自分はまだまだ未熟なんだ」
と反省しました。
当時の僕の目標は
「チーム」でした。
迷惑はかけられませんでした。
僕の役割を
しっかりと果たすことが、
最重要課題でした。
自信がどこから
湧いて来ていたのかわかりません。
「僕はきっと成功する」
「僕らはきっと何とかなる」
そんな確信がありました。
知人友人から見た練習生、下積み時代
練習生の時から
雰囲気が特別だった。
徹夜で練習し、
謙遜して善良な人たちだった。
ヒットするのは
時間の問題だと思った。
歌手 イム・ジョンヒ
トップスターBTSと2年間、
一緒に宿所で暮らした。
実際に一緒に生活した。
隣のベッドはJ-HOPEだった。
2段ベッドが4つあって、
上はRM、隣はSUGAだった。
その後、誰かが
ノックして入ってきたが、
彼がジョングクだった。
当時小学生だった。
歌手 ノ・ジフン
汗でびっしょりにぬれた
シャツを着たまま
食べに来ていた。
店内奥のテーブルが指定席で、
朝昼晩の3回、
訪れる日もあった。
あの時の努力があるから
今がある。
そして、
昔からそうだけど、
素直で優しいでしょ、
あの子たち。
頂点に立っても偉そうにしない。
だからみんなから
好かれるのよ。
ここまでビッグになるとは
思わなかったけどね。
ユジョンシクタン(油井食堂)姜仙子
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